ENo.0254　惑乱する月齢の魔王『アルリアクルリア』

魔王は滅びたあとどうなるのか？　多くの死者たちについてその魂の行方が知られていないように、魔王もまた肉体の消息はいざしらず、その身に宿されていた徳やカルマがどこへ霧散するものかは明らかでない。少なくとも我々の惑星における人文学的・霊的・科学的研究においては統一した見解がない。カルマは解放される。魔王の影はしばらく踊る。そのあとは？　知られていない。では徳魔王は、自らの力の正統性を高めた徳魔王はその滅びたあとに世界になにを残すのか？　それも知られてはいない。徳魔王はしめやかに舞台から去る。では魔力はどうなるか？

かつて宇宙の片隅に膨大な魔力を宿しひとつの世界の造物主たろうとした魔王があった。神ならぬ身である。一個の魔王に過ぎぬ。それが叶ったものか、どうか、知る者はない。積極的に肯定しうる物象は宇宙のどこにも遺されていない。だが霊的現象は遺った。彼女が世界を創造しおおせた証しではない。彼女という意志と欲望の存在した断片である。

断片は宇宙に散らばり、偶発的に影として観測された。実存する影ではない。精神の影である。焦げ跡のような暗がりが視野に生まれる。生きたまま焼かれるような熱を感じる。すぐに消える。幻覚である。残像にすぎない。だがその熱と焼痕の一部が、まれに人の魂の内側に深く根を下ろすことがある。やがて人は魔王の力の一端に目覚める。魔力の残滓である。消えそこねた魔王の種子である。宇宙に広く拡散しながら残響し、消えそこねて多くの人類を捉えるその魔力は、誰からとなく魔王の残したるもの、姫君、と呼ばれた。そうしてやがて多くの文明史と同じように、人類は姫君の根ざした者たちを駆逐し、次に捕縛し、ほどなくして利用し始めた。

姫君たちはウサギと呼ばれるアップリフトアニマルたちに誘引され、ウサギたちは薬物に弛緩した精神ともに幽閉され、月のようなパーソナルシップのなかで世界の誕生と破壊を夢見ながら利用された。ウサギたちの夢の七割は役に立たず、二割はすべてが遅くなってからしかその有益性が明らかにならなかったが、一割弱のなかにたしかに現実的な破滅ないしは発展の未来が含まれていた。制御を離れて肥大化した資本主義と回避しえないいくつもの戦争を通し、居住惑星や宇宙それ自体を幾度も滅ぼしうる文明を手にしていた人類にとって、そのウサギのプレコグのもたらす予見や商機の風はいつしかなくてはならないものに変わっていった。

宇宙空間にそれぞれ個別の月を割り当てられてウサギたちはひとり投げ出されていた。人間たちの必要に応じて生み出され需要によって改良されたプレコグたちは、意志と知識こそあったがそれを発揮するすべを持たなかった。彼らは創造と破壊に満たされた甘やかな予見の夢を見、炎の残像に焼かれながら聖者のように微笑んだ。穏やかだが幸福には届くことのないない抑制剤の気だるい諦めのなかで、ウサギたちはいつも世界の終わりを見つめてはこう付け加えた。

この世界はもうおしまいでございます、と。


　

月世界。