ENo.0239　多々良　小鞠

そうしてついに幽霊は、わたくしの部屋の中にも現れました。

真夜中、外からの淡い明かり。
窓辺で静かに腰を下ろす、寂しげなお背中。
窓の外を眺めやるお姿には、憂いが満ちておりました。

わたくしが身じろぎしても、幽霊は気づかぬようでございました。

柳のそよぐさまをじっと見つめて、物思いに耽るよう。
溜め息さえこぼれそうな、それは物悲しい光景でした。

窓は開いておりました。
かすかな風に、幽霊の髪がさらさらと、布の触れ合うような音で揺れて。
まるで、たしかにそこにいらっしゃるかのような存在感。
手を伸ばせば触れられそうな、けれど触れれば壊れてしまいそうな。

旦那様。

声をかければ、きっと振り向いてくださる。
振り向いて、わたくしを見てくださる。

でも、ほんとうに？

ほんとうに、望むものが手に入るなんて夢を見ても、許されるのかしら？

声をかけて、わたくしが見ていることを知ったら。
それは去っていってしまうかもしれない。
もう二度と、現れなくなってしまうかも。

わたくしはいつの間にか、現れる幽霊を待ち望むようになっておりました。
旦那様のお姿、旦那様のおふるまい。
現れつづける幽霊に、わたくしは旦那様を求めてしまっている。

今のわたくしは、幽霊が現れなくなることがおそろしい。

もう失ってしまったのだと、理性ではわかっております。
けれどわたくしの目には、不完全にせよ旦那様のお姿が見えているのです。
たしかに旦那様だと思えるものが目の前にあって、それを諦められない。

わたくしは愚かです。
きっと救いようのない愚か者です。

目の前でまたしても消えていく幽霊を見送って、わたくしは顔を覆いました。

こんな夢、ほんとうは終わりにすべきなのでしょう。
こんな生活は幻でございます。嘘でございます。
なのに、手を離せないのです。
固く握り込んだ手のひらが、その偽りをかたくなに信じたがっているのです。
いつか醒めてしまうまで、諦めたくないと。

夢の続きを見たがるような、頑是ないふるまいです。
わたくしは今、目覚めたくないと抗う愚かな子どもと同じ。

ああ、明けない夜はないなどと、誰が申したのでしょうか。
朝など来なくてもよいのです。
優しい夢を見ていられるのなら、この夜に明けてほしくなどございません。

永遠が欲しい。
なにも変わらない時が、ずっとずっと続いていてくれたなら。

けれどその望みすら、もはや手遅れでございます。

わたくしのほんとうの祈りは、もうどこにも届きません。
旦那様はもう、わたくしの隣りにいてくださらないのですから。

――それは、さやさやと揺れる柳の下。

井戸の傍、女がひとり。
女は客を待っているようにも、ただただ無為に佇んでいるようにも見えた。
半ば伏せられた瞳と、かすかに開いたくちびる。

あなたは女に話しかけることも、そのまま立ち去ることもできる――望むまま。