ENo.0305　川五郎小口

-　act.1 川五郎小口は滅びと出逢う　-

超越者。
それは時空を超えて、世界を行き来できるという忌まわしい力である。
小口家は超越者の家系であった。皆、今、どこで何をしているのかすらわからない。それは己とて同じことだった。

小口家の末弟、川五郎は齢15にして超越者としての能力を発揮した。
発揮した……といっても、ほとんど事故のようなもので、いつも通り、家で符術の練習をしていたらば、強制的に転移が発動して“ここ”に来ていたという具合である。
無自覚の転移。それは小口家でのほとんどの場合、旅立ちを意味する。今のところ長男から三男までは自宅に一度も帰ってこれていない。
例外として、四男の川四郎だけが、自由自在にその能力を操っていた。川四郎は、つるりとした頭を撫でて、「お前（川五郎）だけにゃ、能力が出んで欲しいなあ」と呟いていた。
そんな兄の期待も虚しく、川五郎の体は今ここにある。帰り方は、わからない。

着いた先は冷たい水底で、そこでは女の子がひとり、朽ちかけていた。身体が塵屑のようになっていって、それは、尋常な死に方ではない。
「のう、汝……。わしはこの城と朽ちる心算じゃったのじゃがな。どうも時代はそれを許さぬらしい。朽ちるのはわしのみとなった。城は僅かに残るじゃろう」
川五郎は、喋るなと呟いた。死を初めて目の当たりにした彼は、ただただ戸惑っていた。こんなところで独り朽ちるのは、とても怖くてとてもさみしいことだろう。
けれど、女の子は微笑んでいた。わしはひとりではないぞ。そう笑っていた。
「この城は、最期までわしの友であった。汝から見れば、ただの城じゃろう？　けれどもな。この城は、喋るのじゃ。わしに常に語りかけてくれてきていた。じゃから、置いて逝くのが……心苦しい」
「そんな……」
「のう、小僧よ。お主、この城と友になってくれぬか。残るのはただのチッポケな一部屋となろうが、それでも城は城。場所が水底で悪いがな」
「…………」
「頼んだぞ」
女の子は辛うじてまだ繋がっている小指を差し出すと、勝手に川五郎の小指と指切りした。文字通り、その行為一つで、女の子の小指は切れてしまった。
それでも、女の子は満足そうに笑っている。何が嬉しいのか、何が楽しいのか、滅びの中に何の美学があるだろうか？　川五郎にはわからぬままだったが、ただ、その笑顔はとても美しいと感じた。女神と言って差し支えの無いほどに。
女の子の身体がぼろぼろと崩れ去り、城も大きな鳴動を続けている。この城も、悲しみに崩れているのだろう。
「…………任されました」
ややあって、川五郎はようやくそれだけを声に出した。絞り出すような小さな声は、城の崩壊に消え去る。
崩壊は続く。水底で、人知れず。
川五郎の周囲だけは、なぜか白い気泡に覆われていて崩れない。まるで、少女が己を護っているようだと感じて、いいや違うのだったかと微笑んだ。
本当はどうなのだろう？　あの女の子は、本当は突然の来訪者に驚いたのではないだろうか。本来、この城は女の子の言う通り、共に全壊してしまう運命だったのではないか。少女が消えてしまった今、最早永久にわからない。

「……四郎兄様は元気にやっとるじゃろうか」

ぼんやりと天井を眺める。染みがひとつ、ふたつ……。
この様子だと、この城は四畳半程度しか残らないだろう。

「……！」

崩壊音に、何かが混ざって聞こえた。それは、風が哭いているような音。
咄嗟に理解した気持ち。嗚呼、哀れんでいるのだ。この城は。
彼は何を哀れんでいるのだろう。少女の死か。それとも、共に逝けなかった我が身の境遇か。
多分、どちらもだ。なんて無念なことだろう。

「…………」

どうして。
どうして、先ず一番に己の身を気にしなければいけないのを、邪魔されてしまったのだろう。
どうして、あの女の子はこの城と崩壊を共にしたのだろう。
どうして、この城を自分に任せたのだろう。
どうして、どうして――


――こんなにも涙が溢れて止まらないのだろう。




使用BGM：「曖昧ナ希望/翠雨」「カイネ/救済」