ENo.0141　石塊の間隙に住まう陽光と微風の君

「ペブルカ様、お茶は如何しますか」
「そうだね、もう一杯頂こうかな」
「承知いたしました」

　黒鱗のワニの騎士オンボスが指先で小さなティーカップをつまみ、更に小さいペブルカのティーカップに紅茶を注ぎました。注ぐ、というよりは数滴の紅茶を注ぐといった様子ですが、これでもペブルカには十分な量なのです。
　二人はペブルカの作った超大型世界間通信機『コールマニー』の根元に運んできたテーブルで、のんびりとお茶会をしているのでした。『コールマニー』の救難信号は、既に止められています。ただ、未だお祭りモードの世界に配慮して、その巨大なアンテナからは現在も花火に似た光の粒が射出され、空を彩っていました。世界を救う手段が見つかった時点で、ペブルカが救難信号を止めたのでした。

「全く、妙なことになったね」
「本当に」

　紅茶を飲みながらぼやくペブルカにオンボスが頷きます。

「ジャカーレル様の時と、同じようなこととなりそうです」

ペブルカが領地と城を借りている鰐の魔王の時も、よく似た展開があったのだそうです。その時は『澱んだ彗星』の女神は世界に破滅をもたらす側として現れましたが、最終的にはこの世界の神々や魔王達と共に暮らす道を選びました。
世界の誕生日を迎えた週には勇者達と盛大なお茶会（という名の戦闘）が行われ、ジャカーレル達もお茶やパイやスコーンなどで応戦したそうです。
シュールにもほどがあるなあ、と内心で呟いてから、ペブルカは紅茶を一口だけ飲みました。今となっては馴染み深い、ペブルカの領地で育った茶葉の味がします。

「これからは、二柱の女神が交互に世界を管理していくことになるのかな。それともこの週で『才女』の女神を追い払ってしまって、引き続き『澱み』の女神が管理するのかな？」
「どうでしょう、私もそれは分かりかねます。『澱んだ彗星』の女神様は力が落ちておいでですし、一戦交えたら交互の管理になる可能性が高いかと存じますが……最初にこの世界を創造した紅茶の創造主は世界の完成直後に消え、誕生日を迎える十五週前に『澱んだ彗星』の女神様が予言の神を装って現れたと聞きます。前回の周期とは異なる形で一年に一人、新たな創造主のアヴァタールが現れる可能性もあるでしょう」
「その度に大騒ぎになりそうだね。まあ、神様が増えて賑やかになることは良いことだ」

きっと今回も大騒ぎがあって、お茶会をして、そして世界は続いていくのでしょう。いつでも初夏の風が吹くこの世界にも周期はあって、それは創造主の似姿のほうき星のように巡るのでしょう。同じような騒動、同じような馬鹿騒ぎ、そして同じようなお茶会を経て、ぐるりぐるりと。それを退屈だと言う人もいるかも知れません。
しかしそれでも、ペブルカはこの世界を気に入っていました。
いずれ魔力を蓄え、ちゃんとした魔王になって、借り物でない領地と城を持ったら、たくさんのイシコログサ達のコロニーを作るのです。魔力で領地の土壌や環境に手を入れればきっと可能でしょう。そしてそれぞれのコロニーで、生きた宝石と称されるイシコログサ達がどのように息づき、どれほど美しいかを人々に知らしめるイシコログサ園を開きたいと、ここでならそれが可能だとペブルカは思っています。
家を見返す、という目的はかなり遠くなってしまいました。しかし、この世界や他の世界の人々にもイシコログサの美しさを伝えることかできたら、イシコログサを愛でる小さな魔王がいると他の世界にも知らせることができたら、いつかその目的も達成できるかも知れません。
地道にやっていくしかないのです。土を耕すように。

「さて、と。そろそろお茶会は終わりにしないとね」

ペブルカはソーサーの上に空になったカップを戻しました。ミニチュアのような食器達を、器用に指先でオンボスが片付けながら尋ねます。

「もう、ご出陣ですか」
「うん。そろそろ来るような気配がするよ」

小さな小さな魔王見習いは、どこか晴れやかな顔で、勇者達と紅茶の使途が迫る地平線を見つめていました。

「さあ、行こう」



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

そして『無垢なる才女』の女神の騒動からずっと先の、いつか、訪れるかも知れない時点にて。
真新しい白亜の城、その玉座の間には大勢のワニ型生物が集まっていました。押し合いへし合いしつつも彼らとしては驚異的なほど静かに、大人しく、これから起こる出来事を見守ろうと息を潜めています。
そして玉座を背にして、三人の人影が立っていました。
左端に立つのは黒い蓬髪の、人間の男によく似た姿をした、鰐の魔王ジャカーレルです。今日は作業着姿ではなく、絹の衣装に天鵞絨の分厚いマントという正装で、二本の角の間には紅瑪瑙で飾られた豪奢な王冠が載っています。ワニそっくりな金色の目は、嬉しそうに笑っていました。
ジャカーレルと反対の右側には、頭に飾り羽根を付けた隊長ワニのスコスが立っています。こちらも宝石がちりばめられたベルトを身につけ、綺麗に背筋を伸ばしています。
鰐の主従の間に立っているのは、ジャカーレルをこの世界に呼び込んだ張本人『完成しない水路』の神でした。普段は焦点の合わない幽霊のような姿をしているのですが、今はローブを着た初老の男の姿になっています。よほど緊張しているのかぶるぶると震えるその手のひらには、ネズミの頭ほどしかない、華奢な王冠がありました。
そして三人の目の前に、黒檀で作られた台座が一つ置かれていました。繊細な花の彫刻が施された台の傍らには、黒鱗を持つワニの騎士オンボスが控えています。台座の上面には小花を刺繍した布が敷かれ、そこにはこの場にいる誰の手にも収まってしまいそうなほど小さな、小人族の娘が一人跪いていました。
身に纏ったドレスは蜘蛛の巣のごとく細かなレースをたっぷりと使っていて、目にも明るい黄色をしていました。萌え出たばかりの若い芽に似た、美しい緑の髪はかつての姿よりもずっと長く、背中にまでゆるやかな波を描きながら伸びています。
少しだけ大人びたその顔に昔のような、周囲に痛々しく牙をむく不遜さは見られず、経験に裏打ちされた自信と誇りとが、内側から光るように溢れ出していました。
彼女を前にして『完成しない水路』の神はしばしの間もじもじとしていました。が、隣のジャカーレルに軽く背中を小突かれると気を取り直したように姿勢を正し、一つ深呼吸をして、口を開きました。

【こ、これより我、『完成しない水路』の神の名の下に、戴冠を行う】

微かに流れていたワニ達のざわめきが、ほんの少し大きくなりました。

【小人族の娘ペブルカ、汝には鰐の魔王『紅瑪瑙の館にて来訪を待ち兼ねる大顎の君』より領地の一部と、新たな居城『水晶城』が譲渡される】

新たな魔王の誕生、それは神の手を介するべきだとペブルカは言いました。この世界に魔王の卵を呼び込んだのは神々であったのですから、それに則るべきであると。
この地にいる神は『完成しない水路』の神だけでした。『完成しない水路』の神は物事を完遂することができないという性質上、戴冠式を辞退しようとしましたが、水路に絡まない事象であれば問題がないことはもう分かっていましたので、結局周囲に押し切られて引き受けることにしたのです。
そして今、彼女の頭上にはミニチュアサイズの冠がかざされています。

【そしてここに、後見人たる鰐の魔王と、神たる我は、汝をイシコログサの魔王『石塊の間隙に住まう陽光と微風の君』として承認する】

『完成しない水路』の神は震える指先で、慎重に、ペブルカの小さな頭に王冠を載せました。
今や新たな魔王となったペブルカはしっかりと、王冠の重みを受け止めました。そして目の前の神と魔王達を見上げ、花が開くようににっこりと微笑んだのでした。