ENo.0058　『灯り屋』

週末をまたいで二日が経つと、ハトだけが再び工房にやってきた。
小さく折りたたまれた紙切れが鳥の脚にくくりつけられていて、
それが例の“魔王宛てのメッセージ”であることをヘンロビンは察する。
どうやら、顔を見せずとも噂屋のお節介はこれからも続くらしい。

すべての魔王に宛てられたこのメッセージは、結局、ヘンロビンには届いていなかった。
そして、ヘンロビン自身は、それが届かないことは一向に構わないと思っている。
本来、魔王同士のやりとりなど、関係のないことだからだ。
魔王に紛れて魔王のふりを続ける、実質中身のない幻のような『灯り屋』と、
今ここに在るただの少女、ただのヘンロビンをきっちりと紐づけられてはたまらない。
メッセージには相変わらず、手を取り合う魔王たちの姿が描かれていた。
上空を横切った伝書鳩を撃ち落としたすえにその中身を盗み読みするような、
そんな感覚とわずかな罪悪感を胸に、ヘンロビンはハトが持ち込んだ手紙に目を通す。
ハトは白い羽毛をふくらませて、作業台の上で静かに丸くなっていた。

伝書鳩というものは、ふつう、帰巣本能を利用したごく自然的なものであって、
何十何百という数を放って数匹戻ってきたならば、それは結果としてひじょうにマシなほうだ。
そういう話をすると、たった一匹のハトがたった一度立ち寄っただけのこの工房に戻ってくるなど、
何か魔法のようなものか、ハトに仕掛けがなければありえないわけであって、
さては噂屋、あるいは他の魔王がつくったハト型のハーピィとか、
そういう類のものではないだろうかと勘繰って、ハトの小さな頭を指でつつく。
ハトは少し目を瞑るだけで、大した反応を見せなかった。
金は必要であるものの、あまり居所を知られたくないヘンロビンとしては、
それこそ義兄である噂屋にしょうもない噂を流されてはたまらないと思っている。
もし、自らが話題性のある何かしらをやらかしてしまった時には、
このハトがその話をここから外部へと持ち出してしまうのだろう。
そう考えると、ヘンロビンにはこれを今すぐ絞め殺しておくのがベストな選択のようにも思えた。





しかし、やめておいた。この世界には、黄金の楔があるからだ。
本当に一番良い方法は、はじめからおわりまで、何事も起こさないことだからだ。
私がもう少し狂っていたらお前なんかいつでも殺してやれたんだぞ、
ヘンロビンは心の中でそう悪態をついて、のんきそうなハトを睨みつけてやった。

ヘンロビンは、他の一部の魔王と違って、命のようなものはつくれない。
つくれるものがあるとしたら、何の変哲もない照明だ。
ガラスと鉄でできた入れ物に、灯りをともすための燃料を注ぐだけの、
少し習って覚えれば誰にでもできそうに見える、そんなつくりものだ。
仮に好きなように何かを作れたとしても、ハトをつくろうなどとは欠片も思わなかったが、
それでも、何でもできる者たちが少し羨ましいという気持ちがヘンロビンにはあった。
もしも、自身が魔王で、何でもつくることができたなら、何をつくっただろう。
ヘンロビンは、きっと、自分自身をつくったかもしれないな、と思った。
ちょっとぐらい不出来でも、関わりたくないあらゆる面倒事をすべて任せてしまって、
『灯り屋』という役割さえもすべて、そのつくりものに任せてしまうだろうな、と思った。

それもまた、ただの、もしもの話だ。





返事を待っているのか、いつまで経っても帰る気配のないハトを吹き竿で突いてみると、
ハトはバタバタとその羽を騒がしく鳴らして、振り返りもせず飛んで行った。
すっかり誰もいなくなってから、ハトにお返しの手紙を持たせておけば良かったことに気付く。
もう手紙はいりませんという、お断りの手紙だ。
これをハトに持たせない限り、おそらくは来週も、再来週もやってくるのだろう。
それに関しては、人付き合いが苦手なヘンロビンはただただ面倒くさいなと感じていた。

孤独になるなと言われても、ヘンロビンは孤独を知らない。
自らが孤独だと思ったことはないし、一人がさみしいと思ったこともない。
実際、孤独ではなくて、さみしくもなくて、恵まれていたのかもしれないが、
単に独りでいることが孤独なら、今この場、この瞬間だって、孤独だ。
この工房でひとりきり、誰の目にも触れずに灯りを作っている。
誰にも気付かれない場所で、存在しているかどうかも分からないことが孤独だというなら、
ヘンロビンが『灯り屋』として在るとき、『灯り屋』ではないヘンロビンの孤独がそこにある。
魔王も、勇者も、照らされた『灯り屋』の陰にあるヘンロビンには気付かない。
ここだけは、誰とも繋がっていない。
真に孤独となったとき、その孤独は誰の目にも映らない。
孤独は、誕生した瞬間に世界から消滅する。


「―――だから、その忠告には意味が無いんですよ。」


誰もいない工房で、炉の底にうずくまる溶けたガラスに言葉を落とした。
フードを被り、床に放り投げたままのかばんを肩にかけ、いくつかのランタンを手に取る。
手に取った灯りたちを洗濯竿に吊り下げたら、出撃準備は完了だ。
再び、あの崩れかけた城の中へ。
塩の柱が立ち並ぶ、あの『幻影の街』へ行かなければならない。
魔王城へ攻め込む者、それが勇者だ。

それが、勇者の行いだった。
これが確かに勇ある行いか、もはや、考えはしなかった。
きっと、契約の末に形骸となった言葉だけが残っているのだ。
きっと、勇者にも魔王にも中身などありはしないのだと、ヘンロビンは納得している。

――――小屋の天井は、灯りで埋もれている。

ところ狭しと敷き詰められた棚と作業台には、
いくつものランタンやガラスの嵌っていないランプのパーツ、
キャンドルスタンドといったものがごちゃごちゃと並んでいる。
そこに混じって、いくつかのガラス細工も置かれているが、そちらは大した数ではない。
小屋の奥には作業台、また作業台、似たような形の吹き竿や型が散らかっており、
それらの道具に囲まれるように、炉が明々と燃え続けていた。


ここ『カンデライト』は、小さな吹きガラス工房だ。
小振りのベルがぶら下がったドアに、貼り紙がしてある。


『見学はご自由に。』
『工房での一般販売は行っておりません。
ご予約の方以外は移動販売『灯り屋』およびマーケットにてお買い求めください。』


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※機転極ユニオン。
基本的には灯り屋が照明を作るだけの場所です。