ENo.0190　花売りと温床

花屋の朝は早い。

手塩にかけて育てた花、すべてに水をやる。
病気の株がないか調べて回り、傷んだ葉があれば取り除く。
ほかの問屋から仕入れた株は、ずらりと並べて値札を貼る。
開店のずっと前から、もう支度が始まっている。

しかし。
その日、花屋は、いつもより遅く起きた。

のろのろ店へ顔を出すと、もう支度を進めているものがいる。
アルラウネ。プリンセス。サキュバス。
この世界へ来てから雇った、異形の店員たちだ。

彼女らはなかなか器用だった。
先週、店を任せてみたら案外うまくやったから、開店準備もやらせることにしたのだ。

「…キャバクラでもよかったよな」

耳聡いサキュバスが振り向いた。花屋は、緩く首を振って誤魔化した。
一見して人を誘う容姿の彼女らが、せかせかと花の世話をするさまは、それだけで何かのサービスになりそうである。

自分もエプロンを身に着けつつ、せわしない彼女らを横目に見ていると、胸中に湧く感情がある。
売る相手を求めて放浪し、この経済の世界へ辿り着いて幾許か。
花屋の内に起こるようになった奇妙な高鳴り。

ここに来るまでは、店主も自分なら、店員も自分だった。
それが唐突に店員が3人（あるいは3匹だろうか？）もいる。
彼女らも雇われるのが初めてなら、花屋も雇うのが初めてなのである。
おまけに、適当に店を開いていると、雇えと訪ねてくるものさえある。
こないだは雪だるまが歩いてきて、思わず立ちくらみがした。

花屋の眉間にしわが寄る。
機嫌が悪いのではない。気分が顔に出るのを抑えようとするとこうなる癖だ。
単純に言えば、「自分の店が大きくなった」ということへの、盛り上がりと緊張感。
そんな感情が、生まれて初めて、花屋を襲っていた。


集中しようと目を閉じると、瞼の裏に砂の嵐が浮かぶ。
出発点だった砂漠の風景。
生きものの影のない砂の海、宙を舞う砂塵、そして、
―――それらをものともせず、唐突に砂上に現れる、歩く花園―――


ぱちり、青磁の目が開く。
幻は消えさって、目の前にはやるべき仕事だけがあった。
器用な彼女らにも任せられない、店長自らが赴くべき仕事。


花屋は裏の戸を開けた。
あらゆる花の香りの混ざった、濃すぎる芳香が鼻を突いた。

「よう。元気か」

返事はない。
見上げた巨大な複眼は、花屋を認識しているのか、どうか。
その脇へ回り、触覚にロープを引っかけて、巨躯によじ登る。
ざっと踏み抜いた「土」が、ぼろぼろ下へ落ちていった。

花屋がざくざく背に踏み出すと、それはわずかに身をよじる。
昨日のつぼみが今日は花になり、背上の花園はますます実っている。

歩く花園、「咲花病の巨硬蟲」。
たとえ店員たちがどれほどに信頼のおける腕前であっても。
その背に咲く花の世話だけは、誰にも任せられない。

「今日も大人しくしててくれよ」

この蟲によじ登って振り落とされないで済むのは、あの始まりの砂漠から磨いてきた、
一朝一夕で身につかない、花屋の技術なのだから。