ENo.0160　Anny=Tolle

「そういえば」

　両手で持っているマグカップを覗き込むように俯いていた頭を、声と共に男が上げる。
　女は対面に座ってクッキーをもそもそと齧りながら何か？と言うように男へと視線をやった。

「俺らの前任者って、どうなったンスか？」

　ああ、と女は咀嚼しながら声を漏らすがすぐには答えずゆっくりと素っ気ないクッキーを味わう。
　流し込むようにコーヒーを豪快に半分ほど飲み干すとほう、と湯気と共に温かい息を吐いた。

「処分されましたよ」

　分かりやすいほどに男が動揺しマグカップを落としかけると女が少し声を漏らして笑う。

「当然でしょう。前任者は俺を作る為のデータ収集に作られたんですから用が済めば不要になった物を主様がそのままにしておくわけがねぇじゃないですか」
「それは…そ、ッスけど……」

　納得できないとありありと滲ませる男の言葉に女の目に若干の敵意が宿る。男が察知できないほど薄い、喧嘩腰程度のものではあるが、共に生活する者に向けるものではないのは確かだ。

「主様の行われることに不満でもありやがるんですか？」
「そういうわけじゃなくてッスね。…その、前任者は、幸せだったンスかね」

　男の言葉には？と女が声を漏らし、少しの間の後抑えることもせず声を上げ腹を抱えて笑う。

「何を言い出すかと思えば！――当然でしょう。主様に産み出していただいて、役目を遂行して主様の手で終わりを与えていただく。これ以上の幸せがあるとでも？」

　目を爛々と輝かせ心の底からそう思っていると聞けば分かるような、うっとりと“主様”に心酔する声音。
　顔を全て覆い隠した男がどんな表情をしているのかはわからないが、僅かに身を震わせ漏れた呼吸音から感じ取れる感情は肯定的なものでない。

「俺、には、わからねえッス。……姉さ――兄さんみたいに、忠誠心は植え付けられてないんで」

　一瞬表情を凍りつかせたがすぐに女の表情が緩んだ。先程の狂気に近い心酔はさっぱりと消え失せて、いつもの面倒くさそうな眠そうな、そんな目を男に向ける。

「そういえばそうでしたね。……一つだけ警告を。俺は…“ペルレイシス・アニー＝トル”は、主様に絶対の忠誠を誓っています。初めからそうあるように作られています。長生きしたいのであれば、俺の前で不用意な発現や行動は避けるように」

　男がはぁ、と気の抜けた返事を返すと女は露骨に顔を顰める。

「一度しか言ってやりませんから、忘れるんじゃありませんよ。――まあそんなわけでこの話は終わりです。俺はおやつタイムに戻ります」
「…ッス」

　またもそもそとクッキーを齧りだす女を視線から外すように男は顔を俯かせた。

ペルレイシスとトトアを生み出した本来参戦すべき魔王の根城。

領域には丁寧に整えられた色とりどりの薔薇園とその中央に鎮座する巨大な蔓薔薇の蕾。
本来は真っ白だっただろう城壁には蔦がびっしりと張り巡らされて深緑に染まっている。

魔王が出てくることはほぼなく、城のどこかにあるプライベートルームに引きこもっているようだ。