ENo.0094　アンティーク

●辺境伯の外套の話
　その伯爵は変わり者だった。
　彼の前に何人着たか分からないような、古ぼけた服を纏っていた。
　社交界にもその服で現れて、当然遠巻きにされるが、平気でワインを浴びていた。
　人嫌いだからと言って、館に使用人が殆ど居なかった。
　馬は大柄な青毛のたった一頭だけだった。
　没落した家系の友人が、館から宝石を一箱分盗み出して行方を晦ましても、追っ手を差し向けようとも、王に訴え出ようともしなかった。
　王宮の権力争いにとんと関心がなかった。
　それ故にまんまと暗殺の濡れ衣を着せられたものの、黒幕に報復しようともしなかった。
　身の潔白を証明せよと帰る見込みのない戦場へ送られたが、半月後、自らの騎士たちを率いて王都へ帰還した。
　黒い髪と髭が背と腹に垂れるほどぼうぼうに伸びていた。
　痣や固まった流血で顔が殆ど見えず、鎧は煤と泥で汚れていた。
　その姿から王都の民の間では黒痣伯爵とあだ名がついたが、やはり当人は気にも留めなかった。
　王は伯爵へ新たに北端の凍り付いた領土を与えた。それでも文句の一つも言わなかった。
　彼が大きな黒馬に跨り、騎士らと共に領土を駆け抜けると、その馬蹄の音は眠っていた大地が目覚めるような轟音となった。
　寒さをしのぐために閉ざされた民家の戸。それと共に閉ざされた民の口が、銀世界を一直線に走る黒い群れの前に、久しくぽかんと開け放たれていた。
　儀礼に従い民から新たな領主へ献上された毛皮の外套もやはり黒いもので誂えられており、伯爵は黙ってそれを受け取った。
　人には厳しいこの土地で、伯爵が毎日のように馬を駆ると、民らも見物に出てくるようになった。
　その他に特別なことは何も無かったが、或る日、魔性の軍勢が銀世界の地平線に現れた時、伯爵は黒外套を羽織って愛馬に乗り騎士らを率いた。
　そしてまた黒痣伯爵は自らの領土に帰還した。