ENo.0058　『灯り屋』

ひとり、少女は歩いていく。
担いだ洗濯竿にはいくつものランタンと値札をぶら下げて、
大して真面目に売る気もない様子で、すたすたと歩いていく。
竿に下げられたすずなりの照明に、光は灯されていない。
一歩進むたびにがらんがらんと音を立てて、少女の存在を主張する。

少女の名は、『灯り屋』。
しかし、ここでは、ヘンロビンとする。
彼女にとって『灯り屋』というのは、ある種、仮の姿のようなものだ。
ヘンロビンは、金にあまり興味がない。商売自体も、好きとは言えない。
店を構え、滅びに備えようという燃えるような意思もなかった。
それどころか、柱と屋根がある店らしい店さえ構えていない。


率直な話、彼女は魔王ではないのだ。
それならば、彼女が何かといえば、これひとつしかない。
カルマ勇者だ。それ以外にはない。


地に溜まった霧が、もんやりと、足元のレンガ道を白く塗り上げていた。
ヘンロビンは、今まさに、魔王の城に攻め入ったところだ。
とはいえ、このヘンロビンというものは、まったく戦えはしない。
自ら戦わないうえ、戦う気がないと表現するべきだろうか、
とにかく、彼女は色々な在り方に対して、あまり素直ではない手段を取りがちだ。

彼女がやってきたのは魔王が捨て去った城の残骸にすぎず、
魔法で出来た蜃気楼の街、幻影の街、なんとも曖昧な名前の、城であった場所だ。
当然、そこは無人の廃墟なのだから、ヘンロビンの行いは空き巣か、墓荒らしに近い。
守る魔王がいないのであれば、戦う必要などどこにもなかったし、
とうの昔に滅びを迎えた城には、もはや、価値のあるものなど何ひとつも残ってはいない。
ヘンロビンは、他の勇者がここにやってくる可能性はほとんど無いと読んでいた。

何の営みも、生気さえ感じられないこの城が、名前通りに街のかたちをしているのであれば、
ヘンロビンが歩むこの道の両脇には、レンガの壁と家々が立ち並んでいるのだろう。
手の届くところまで近づかなければ確かめることは叶わず、
それほどの濃霧が、色を失った幻影が、辺り一帯を白く覆い隠している。
魔王が置き去りにした、魔法に包まれたこの場所は、ひどく静かだった。
人の気配はない。風ひとつ、その音を立てることはない。
傷だらけの建造物、ひび割れて歯抜けになったレンガと敷石、砕け散った何かの断片。
なにか形のあるものを確かめてみても、そんなものばかりが目に映る。
あらゆる溝と隙間には、砂埃と混じって黄ばんだ塩の塊がこびり付いていた。


ああ、しかし、全てが虚構だ。ここはそういう城なのだから。
そういう魔王が住んでいたのだから、ここには幻があるということだけが本当だ。

幻に騙されているのか、いないのか、まるでその境目のない空間を眺めながら、
消えた灯りを掲げたヘンロビンは色彩なく霞んだ大通りをまっすぐと進んでいく。
この城から魔王が消えた日は遠くとおく、ここにあるのはいつかの面影だけだ。
幾度と知れず、滅びを繰り返したはずの世界に、どうしてか、“ここ”が残っている。
こうして、この幻影の街という誰かの城が、今もなおここに在るように、
滅び続けるこの世界に何かを残す手段があったというのであれば、
こうも長々と、１５週の度に訪れる仕切り直しに付き合わずとも良かったはずだ。
ヘンロビンは、そう思っている。


当の昔に過ぎ去った時の城、『幻影の街』。
この城は幾千の滅びを迎えたというのに、今になってこの場にやってきたのは勇者だ。
今さら何が変わるというのか、変わる時があったとすれば、
それは、魔王が立ち去ったその日だったのではないか。

ヘンロビンが風の噂からこの城の存在を知ったのは、ほとんど偶然だ。
しかし、遠路はるばるダンジョンの奥深くに埋もれたこの城に足を運ぶことは必然だった。
彼女が求めるものは、滅びの先にも永遠に残るもの、残す術だからだ。
幻などというものには欠片も興味はなかったが、
それは、幻が消えるものであることが常だからというだけにすぎず、
ここにあるものが滅びを迎えても消えない幻だというなら、まるきり、話は変わってしまう。

この幻が、今、確かにここに在るのであれば。
今もまだ、ここに残り続けているのであれば。
もしかすると、滅びを回避できるのかもしれない。

ヘンロビンをこの場に呼び寄せたのは、そういう、仮説だ。
もしもの話を手繰り寄せて夢想するような、そういう、子供じみた遊び心だ。
決して、非実在が実在するかどうか、現実が確かに現実かどうか、
そんな不毛な証明をしたいがために、この場にやって来たわけではない。
滅びを免れること、この城の仕組みを知ること。
ヘンロビンにとっては、それだけが目的だ。
それさえ分かれば、このような存在すら曖昧な場所に長居する理由はない。



もしも。
それは、杞憂だ。
それは捕らぬタヌキの皮算用であり、机上の空論にすぎない。
それが有用な計算であり、予想であるというなら、
はじめから、空想を差し込む間もなく、もっと真面目に考え、行動するべきだった。
選ばれることのない未来に期待したのか、選んでしまった過去に後悔したのか、
ヘンロビンはこれまでの自らを省みて、自らがどうしてここにやってきたのかを考える。

そうだ。ただ、面白そうだったからだ。
消えない幻が本当であったなら、面白いからだ。
本当ではないなら、その虚構を笑い飛ばすだけだ。

面白いか、面白くないか。
彼女にとって、これはまったく簡単な話であって、考えるまでもない。

ヘンロビンは顔を上げる。
霧の中に佇む、塩の柱が目についた。
人の背丈ほどの大きさのそれが、街中のそこかしこに点々と、いくつもいくつも並んでいた。
いかにも人が入っていそうな形をしていたので、ひとつ、試しに崩してみる。






















































何も無かった。崩れた塩だけが足元に撒き散らされた。



「…………。」



ひとつ、ランタンに光を灯す。
静かで、熱のない明かりがその小さな箱型の中に納まった。
素朴で、穏やかな灯りが、漂う霧のかたちを炙り出したのかもしれないが、
拡散した光で辺りはよりいっそうに何も見えなくなった。
ヘンロビンは固く閉ざしていた口を開く。



「――――あかり、灯りはいかがですか。
　　　　　　あなたの心をぽっと明るく照らします――――」



誰の返事も、こだまもない。
少女の囁きは幻影の中に呑まれていく。







魔王城攻略、始めました。

――――小屋の天井は、灯りで埋もれている。

ところ狭しと敷き詰められた棚と作業台には、
いくつものランタンやガラスの嵌っていないランプのパーツ、
キャンドルスタンドといったものがごちゃごちゃと並んでいる。
そこに混じって、いくつかのガラス細工も置かれているが、そちらは大した数ではない。
小屋の奥には作業台、また作業台、似たような形の吹き竿や型が散らかっており、
それらの道具に囲まれるように、炉が明々と燃え続けていた。


ここ『カンデライト』は、小さな吹きガラス工房だ。
小振りのベルがぶら下がったドアに、貼り紙がしてある。


『見学はご自由に。』
『工房での一般販売は行っておりません。
ご予約の方以外は移動販売『灯り屋』およびマーケットにてお買い求めください。』


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※機転極ユニオン。
基本的には灯り屋が照明を作るだけの場所です。