ENo.0134　花園のレニエ

　それはここではない、どこかの世界のお話。
　とても貧しく、しかしとても美しい娘が一人の赤ん坊を産みました。
　汚い肌に汚い髪の醜い赤ん坊を、娘はそれでも愛しました。

　赤ん坊は娘の母乳は飲みましたが、大きくなってもそれ以外のものは決して口にしようとしませんでした。
　貧しい娘が赤ん坊に食べさせることのできるものはとても貧相で美味しそうには見えない食べ物しかなかったので、仕方ないことなのかもしれません。
　娘は困ってしまいました。困って困って困り果て、やがて一つの結論に辿り着きました。
　自分の母乳を飲んでくれた赤ん坊に、今度は自分の肉を与えようと考えました。

　赤ん坊は娘の肉を食べました。娘の指を食べ、腕を食べ、足を食べ、目を食べ、腹を食べ、髪を食べ、やがて娘の肉体全てを赤ん坊は食べました。
　その頃には赤ん坊は少年へと成長していました。赤ん坊だった頃の醜さは見るかげもなく、美しい白い髪に銀の瞳、白くなめらかな肌を持つ、母親によく似た美しい少年へと変化していたのです。

　少年は汚い町の裏路地からふらふらと外へ出ました。きらびやかな町の中で少年の目に真っ先に入ったものは、花壇に咲いた赤いチューリップの花でした。
　それは母親が少年に一度だけ見せてくれたことのある花で、彼女が一番好きな花と言っていたものでした。少年は無意識に、赤いチューリップの花に母親の姿を重ねました。
　少年はチューリップの花を食い入るように見つめていましたが、やがてその花を口に入れ、咀嚼しました。
　母親によく似た赤いチューリップの花、自分の母親を、再び自分の中に取り込もうとしたのです。
　少年は赤いチューリップを食べました。程なくして少年の右目に激痛が走り、眼球が腐り落ち、そこからチューリップのように赤い、しかしチューリップではない花が咲きました。
　右目の花は様々な美しい種類の花に姿を変えました。しかしチューリップの花にだけは、決してなることはありませんでした。
　少年は母親を取り込むことはできなかったのだと悟りました。そして、このチューリップはきっと母親ではなかったのだと理解しました。

　少年は町の人達が食べるような食事を必要とはしませんでした。
　美しいもの、とりわけ花を好んで口に入れました。美しいものを見るたびに少年は母親をそこに重ね、食べ、母親ではない事がわかるとがっかりしました。
　美しいものを食べるたびに少年はどんどん美しくなり、町の人達は月の光すら食べてしまう少年をひどく恐れました。少年は町の外へ母親を探しに出かけました。

　少年は世界中を探し回りました。ありとあらゆる美しいものを食べ、世界は崩壊しました。
　輝きを失った世界で、青年へと成長した少年はやっと気付きました。
　彼の母親は既に、この世界には存在していなかったのです。

　失意に沈んだ青年はどこかへ誘われるように歩き出しました。
　歩いて歩いて歩いて、気がつくと青年は見知らぬ町の中に立っていました。
　いえ、青年はこの町並みを知っています。世界が崩壊する前、彼が生まれ育った、彼の母親が住んでいた町にとてもよく似ていました。懐かしい輝きと活気が溢れかえります。青年は涙を流しました。
　青年はしばらく美しい町を散策して眺めを堪能すると、汚い裏路地の方へ進んでいきました。母親と過ごした記憶が蘇ります。
　成長した青年は母親が娼婦の真似事をして生活していたことや、望まない形で自分を産んだということも既に理解していました。それでも青年にとっては、母親との生活は美しい思い出でした。

　裏路地には一人の少年がうずくまっていました。醜く汚い少年は青年に気付いて顔を上げると、ぼんやりと青年を見つめました。その表情は、こんなに美しいものを今まで見た事がない、美しすぎて理解が及ばない、といったようなものでした。
　青年も、少年をじっと見つめていました。青年は醜く汚い美しくないものを嫌いますが、目の前の汚らしい少年から目を背けることができませんでした。
　少年の姿は、青年が母親を食べて今のような姿になる前、醜い赤ん坊だった頃にとてもよく似ていました。あの時の自分のまま成長していたら、きっとこんな姿になっていたのだろうと青年は感じました。

　青年は少年に母親はいるかと問いました。ぼんやりしていた少年はやがて我に返ると、母親は既に亡くなったと答えました。
　次に母親に会いたいかと問いました。少年は頷きました。
　青年は右目に咲いた花をむしり取り、少年に与えました。少年は戸惑っていましたが、やがて恐る恐るといった様子で赤い花を口に入れました。
　すると少年の右目が腐り落ちてそこから赤い花が咲き。肌は透き通るように白く、瞳は銀色に、髪は艷やかな白へ変わりました。その姿は醜かった赤ん坊が美しい少年になった時の姿を写し取ったかのように、寸分違わずそっくりでした。

　青年は少年に、母親を探してほしいと伝えました。美しくなった少年はそれだけで全てを理解したようでした。
　少年はしっかりと頷くと、青年へと手を伸ばし、食らいつきました。


　それはここではない、どこかの世界のお話。
　美しい少年は美しい青年の姿と意志を受け継ぐと共に、その名前をも受け継ぎました。
　彼の名前はレニエ。美しきを喰らう化け物。
　彼の意志は廻り、そして物語も世界の滅びと再生を繰り返し、廻っていくのです。


　それが彼の事なのかって？
　いいえ、違います。今の話はあくまで「レニエ」の話です。
　ここに居る彼は最初のレニエの性質をその身に宿した、それでいて繰り返し続ける運命に囚われる必要のない、「花園の魔王」、なのですから。